新規物件の調査の為、有田川町歓喜寺を訪れた折、地名にもなっている”歓喜寺”と、紀州が育んだ偉大な高僧・明恵上人の生誕の地(明恵上人は歓喜寺生で生まれました)を伝える”吉原遺跡”を見学してきました。

歓喜寺では、お寺をそっと囲むように植えられた木々が秋色に色付いていました。美しい紅葉を眺めながら、静かな境内の中に佇んでいると、日々の慌しさを忘れ、心に安らぎを感じました。
”歓喜寺”は、「往生要集」の著者として有名な”恵心僧都源信”が、986年に開創したと伝えられている古刹です。その後衰微しましたが、1249年明恵上人の弟子・喜海が、湯浅氏の支援で師の生誕地に”歓喜寺”を再興しました。当時は九品極楽浄土を表すという、上品堂・中品堂・下品堂とその他堂宇が建ち並ぶ大伽藍であったそうですが、今はその面影がわずかに残るばかりです。
宗派は浄土宗、本尊は阿弥陀如来像。国重要文化財の”木造阿弥陀如来像”と”木造地蔵菩薩坐像”がお奉りされています。
●”歓喜寺(かんきじ)
・住所 和歌山県有田川町歓喜寺159
・電話 0737−32−3425
・参拝 境内自由参拝(年中無休)
※拝観は9時から17時 前日までに要予約

明恵上人生誕の地を伝える”吉原遺跡(国指定史跡)”は、国の指定を受けた:上人紀州八遺跡の内のひとつ。
誕生を示す卒塔婆と、すぐ近くに”上人胎衣塚(上人が生まれた時の胎盤を埋めたと伝えられる)”と書かれた石碑が建てられている。
明恵上人は有田川町歓喜寺で、承安3年(1173年)1月8日、(父、平 重国という武士、母、有田の豪族、湯浅 宗重の娘)に生まれました。8歳の時、両親と死別。その後出家を志し、京都高尾の神護寺に入門し修行に励みました。23歳の時には立派なお坊様になられていましたが、静かな山中にこもり尚一層の修行を重ねたいと、数人の弟子を伴い有田に帰ってきました。34歳で修行を終え京都に帰りますが、それまでの有田での修行地7ヶ所に生誕地を加え、八ヶ所遺跡として、国の史跡に指定されています。
明恵上人は、新しい宗派は興さず、ひたすら釈尊を慕い、釈迦仏教を研究されました。名誉や利益から離れ、純粋無垢にその生涯を生き通した清僧でありました。書き残された多数の経典などから、日本仏教最大の高僧といわれています。また私たちにお茶を飲む効用を教えてくれたのも明恵上人です。
●明恵上人 吉原遺跡
・所在地 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺
・問合せ 0737−52−2111
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10:21 PM | comments (x) | trackback (x) |